すぐに「教えて」と言っているうちは成長できない

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こんにちは、日々成長を心がけているモズークです。

株式投資に限らず、わからないことがあったらすぐに「教えて」と言ってくる人がいます。

  • パソコンがわからないから「教えて」
  • スマホの設定がわからないから「教えて」
  • カーナビの使い方がわからないから「教えて」
  • 株でなにを買えば儲かるのか「教えて」

わたしの経験からするとこのようにすぐに人に聞く人は成長できません。

なにを「教えて」ほしいのか「教えて」

すぐに「教えて」と言ってくる人は、自分がなにが「わかっていない」のかが「わかっていない」人がほとんどです。あなたが「わからない」ことがどこなのか、わたしがわかるはずがありません。

そんな場合こっちがひとつずつ質問してどこが「わからない」かを調べる必要があります。さすがにそんな状態だとこちらも疲れてしまいます。

せめて人に聞く前にいろいろ調べいろいろ試行錯誤して、なにができなかったのかを「教えて」くれたならもっとスムースに教えることができます。

教えてもらったことを腑に落とす

逆に言えば自分で調べて自分で試行錯誤してどうにもならなくなったときに、「教えて」と言ってくる人は成長できます。「わからない」ことが「わかった」ことで、なにを聞けばいいかが「わかって」いるからです。

そこまでたどり着いた人には一言教えるだけでほぼ問題が解決してしまいます。

「わからなかった」ことが知識になり、行動したことが本当の智慧になります。腑に落ちるという言葉がありますが、腑に落とす努力をしたからスムースにストーンと腑に落ちたのです。

わからないことは教えられない

「どの株が儲かりますか?教えてください」
わたしが知りたいです、はい。

仮にわたしが「この株が上がる可能性が高いよ」と無責任なことを言ったとします。でも訪ねてきた人はまずその株を買いません。自分の知っている株が出てこないかカマをかけているだけです。まだそのほうが懸命です。

どの株を買えばいいか教えない理由

わたしはどの株を買えばいいかと尋ねられても素直に「わかりません」と答えます。それが一番だからです。

教えてもらった株を買ってしまった場合は高い確率で不幸になります教えてもらった株が上がった場合と株が下がった場合でみてみましょう。

教えてもらった株が上がった場合

教えてもらった株が上がった場合、買った人は自分の手柄だとしか考えないでしょう。そして教えてもらった株が何故上がったのか調べもせずに、次の新しい株を教えてもらいにいきます。

投資家に必要な、自分で調べて考え失敗を経験して成長することができなくなります。そんなひとは近いうちに大きな失敗で資産を減らすでしょう。

教えてもらった株が下がった場合

教えてもらった株が下がった場合、買った人は教えた人の責任にするでしょう。
「あなたが買えと行った株が下がった!」と怒鳴り込んできます。
考えたでけで、とんでもなく迷惑です。

そして教えてもらった株がなぜ下がったか原因も調べず、そのまま投資をやめてしまいます。その後の人間関係も気まずくなるでしょう。株を教えて気まずくなるより、教えないでケチと言われる方がマシです。

いますぐ答えを知るより、わかろうとする過程が大事

  • すぐに「教えて」と言ってくる人は、楽がしたい人です
  • すぐに「教えて」と言ってくる人は、他人に依存している人です
  • すぐに「教えて」と言ってくる人は、自分のすることに責任の持てない人です
  • すぐに「教えて」と言ってくる人は、自立のできない人です
  • すぐに「教えて』と言ってくる人は、成長できません

わからないならわからないなりに、わかろうとする努力をすること。そしてその過程で得た知識、経験、智慧こそが一番の財産になります。

そんな財産をたくさん持った人に、わたしはなりたい。

P.S.

ところで誰か、こっそり必ず上がる株教えてくれませんか?

売れないものを売る方法? そんなものがほんとにあるなら教えてください! (SB新書)

自慢されるって素晴らしい

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みなさんこんにちは、モズークです。

よく新しい物や高いものを買って自慢する人がいますよね。親がお金持ちでなにも不自由なく高額な物を手にすることができる、ドラえもんで言うとスネ夫みたいな人です。

「これ新しいガジェットだよ~」とか「これ高かったんだ~」って言われたら聞いてるだけでムカつきます。でもいまは全然ムカつきません。それはなぜか?実は自慢されることは新しい物に触れることのできる機会をあたえてくれる、とても素晴らしいことだったのです。

未知の世界に触れることのできる機会

そうです、自慢してくる人はとても素晴らしいのです。子供のころ中流以下の家庭で育ったわたしにとって、お金持ちの子たちが自慢してくる物は本来目にしたり手にとったりできないものばかりです。

それを自慢とはいえ触らせてもらうことができる機会が与えられます。そこでわたしは「ああ~これはなんて良いものだ!」とショックを受けるのです。するとどうにかしてそれを手に入れようとします。でも買えるほどのお金はありません。あきらめてしまいますか?

ナイコン族

私は小学生のころはナイコン族でした。ナイコン族というのはマイコンを持っている人に対して、マイコンを持っていない人々、マイコンがない、つまりナイコン族という意味です。

そのナイコン族だった私はどうしてもマイコンに触りたい。マイコン関係の雑誌を読んではため息をもらす日々。
そんなときふと思い出します。そういや友達がマイコン買ったって自慢してたな。そうだ友達の家に行こうとなるのです。

ずうずうしいやつ!

いま思えばなんてずうずうしいやつだと思いますが、それだけマイコンに対して一途な情熱を持っていたのです。休日はもちろん、学校が終わってからもお金持ちの友達の家に押しかけてはマイコンを使わせてもらいました。

友達はマイコンを持っていてもゲームくらいしかやらなかったのが多数です。その友達も親に勉強に役立つからとかいって買ってもらっていました。ほんとう友達はちょっとドキドキする系のゲームが目的だったんですけどね。

それでもマイコンに触らせてくれる友達はありがたい存在でした。お金持ちの友達のおかげで高級品だったマイコンに触わることができました。おかげで今でもコンピュータに対して苦手意識を感じることはありません。

自慢は思いやりの裏返し

「こんないいものお前みたいな貧乏人には買えないだろう」というような気持ちで自慢してくる人は意外といません。。単純に自分はこういう趣味の人間だよという自己紹介です。自慢に聞こえるのは、こっちの勝手な妄想です。

  • 車好きに新車を買ったと自慢してくる
  • 時計好きに高級時計を買ったと自慢してくる
  • お金好きに株でいくら儲けたと自慢してくる

自慢する人はこっちがその品物に興味があると知っているから自慢してくれるのです。こちらの趣味をちゃんとリサーチしてくれている思いやりのある人です。

たまに全然興味のないものを自慢されたりしますが、そのときは「あっ、そう」とか「ごめん、興味ない」という反応になります。そうならないためにこちらが興味のありそうなものを考えて自慢してくれているのです。なんてやさしいのでしょう。

そう考えると自慢されるのも悪くないですね。むしろありがたいとさえ思えてきます。

自慢されるって素晴らしい。わたしのために自慢してくれるひとよ、ありがとう。

ありがとうはありがたい

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みなさんこんにちは、みんなに感謝モズークです。

突然ですが、ありがとう言っていますか?身近な人や気の知れた仲間には、いまさら恥ずかしくて言えないなんてことはありませんか。今回はそんなちょっと恥ずかしがりやのあなたでも、ありがとうと言いやすくなる話です。

ありがとうはありえない

「ありがとう」はもともと「ありがたい」からきています。「ありがたい」を漢字にすると「有り難い」です。ありがたや~ありがたや~のありがたいですね。それは本来ならあることが難しい、ありえないという意味です。

ありえないことがありえたらすごいことですね。

人にありがとう

誰かに「コップ持ってきて」と頼んだら持ってきてくれる。本来なら自分で取りにいくところを、頼んだだけで物を持ってきてくれることはありえないのです。それどころか頼んでもないのにプレゼントや親切にしてくれる人までいます。ありえないですよね。

だから言ってみましょう、人にありがとう。

太陽にもありがとう

太陽は頼まれもしないのに朝日が昇り、大地を光で照らして温めてくれます。植物を育て、野菜を育て、それを家畜が食べ、人間がお肉を食べます。すべて太陽がなかったらありえなことです。

太陽がもしもなかったら、地球はたちまち凍りつきます。花は枯れ鳥も空を捨てます。そもそも太陽の重力に集まる惑星もないので地球もありません。

だから言ってみましょう、太陽にありがとう。

自分にありがとう

こう考えてみてください。

  • 魂だけの存在である私達が身体という動かせる器に入っています
  • その器は望んだだけで腕を動かして物を掴んでくれます
  • その器は望んだだけで足を動かして歩いてくれます
  • その器は望んでないのに目でものを見たり、口で喋ったり食べたり、耳で聞いてくれます
  • もしも身体がなかったらありえないことです

だから言ってみましょう、自分の身体にありがとう。

とにかく、なにがなんでもありがとう

こう考えればありがとうはとても素敵な言葉だと思いませんか。この世すべての事柄にありがとうと言ってもいいくらいです。宗教法人ありが党を設立してしまう勢いです。

すみませんよりありがとう

親切にしてくれたときに「すみません、すみません」という人がいます。そこは照れくさいかもせいれませんが、ありがとうにしてみませんか。言われた方も「すみません」と謝られると冷たく感じます。感謝の「ありがとう」のほうが暖かく嬉しいはずです。

そしてこのブログを開き、記事を読んでくれたあなたに。ほんとうにありがとう。

ありがとうの魔法

テレビいりません

みなさんこんにちは、モズークです。

2011年にアナログ放送から地上デジタルテレビ放送、いわゆる地デジに切り替わってもう5年。部屋のアナログテレビは地デジに切り替わる際に捨ててしまいました。処分費用は有料でしたけど。デジアナ変換という延命処置も考えましたが結局やめました。数年寿命が伸びたところで結局そのうち買い直しすることになりますから。

それからは私の部屋にはパソコンのモニターだけでテレビはありません。ですがテレビの無い生活をして、これといった不都合は生じていません。それどころか、テレビが無いほうがいろいろと都合が良いです。

そんなわけで今回は、テレビが無いことによるメリットとデメリットを書きます。

テレビを捨てることのメリットとデメリット

メリット

  • テレビを購入する金額が必要ない
  • テレビを置く場所があき、部屋が広くなる
  • テレビの電気消費量が減る
  • 番組の放映時間にテレビの間で待ってなくても良い
  • 偏ったメディアの放送に気分を害されない
  • テレビから雑音がなくなり、静かに集中できる部屋になる
  • 変なところをカットされた映画を観なくてすむ
  • テレビ持ってませんよ、とN○Kを追い返せる(無理かも?)

デメリット

  • よく考えてみたけど、なし

はい、デメリットなしです。

こういうことを書くとお決まりのように「テレビ持ってない自慢」などといわれたりしますが、これだけメリットがあるのだから自慢してよいのではないでしょうか。

昔は話題を共有するためのツールだった

わたしが子供の頃はキン肉マンや聖闘士星矢などのアニメを見ていれば、クラスメイトとの話題に困ることはありませんでした。もし共通のテレビ番組をみていなかったらいじめられるとまではいかないまでも、会話に入っていくのは難しかったと思います。

いまは個人個人の趣味趣向が多様化してるので、共通する話題は少なくなっています。また、多様化した趣味を持つ者同士が繋がることができるインターネットがあります。それどころか情報の発信も個人でするのが当然となりました。まさに多様化の時代です。

逆に情報発信装置としてのテレビは多様性に対応しきれなくなっています。年々低下している視聴率がその証拠ではないでしょうか。

テレビはこれからどうするのか

もうテレビは必要ないから停波して、国民の財産である有限な電波を変換しろとまではいいません。ですがこのままの状態が続けば、スポンサーもテレビの広告効果を疑いはじめネットにシフトします。

スポンサーがいなくなれば、なんだかよくわからない受信料の徴収をしているN○K以外は潰れてしまうでしょう。そうなるまえにテレビ各局は生き残る変化をするべきです。いくら4Kだ8Kだと画質向上を騒いでみても、肝心の内容がへっぽこでマズイです。

個人がアップロードしたネット画像を流して番組作ってる場合じゃないですよ、ほんとに。