こんにちは、モズークです。
「お客様は神様です」
昔ある歌手がトークするときによく使ったフレーズです。しかしこの言葉の意味は最近特に間違った意味で使われてます。
- お金を払う客は神様だから、店員にどんな態度をとってもいい
- お金を払う客は神様だから、店員に土下座させてもいい
- お金を払う客は神様だから、不愉快な気分にしてはいけない
これらのことはすべて間違いです。こんな客は神様ではなくただのクレーマーです。むしろお金をもらうほうのが神様なのです。
今回はそのことについて少し書いてみます。
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神社へ行けばすぐにわかる
お金をもらうほうが神様という理由は神社に行けばすぐにわかります。
まず一礼をして鳥居をくぐり、手水舎で手と口を清め、お賽銭箱にお金を入れます。二拝二拍手一拝で神様にお願い事やお礼をします。そして鳥居をでてまた一礼。
さて、どちらが神様でどちらがお金を出したほうでしょうか?
はい、神様のほうがお金をもらいましたね。もしお賽銭を出した参拝者のほうが神様だったら、参拝者が神様の願い事を聞かなければなりません。しかし実際は願い事を聞いた神様のほうが神様なのです。
これだけでもお客様は神様だから何してもいいということは間違いだとわかります。はい、おっしゃるとおりこれは屁理屈ですけど。
お金を出したからといって偉いわけではない
お金を出したんだから、客のほうが偉いに決まっているじゃないかという意見もあるかと思います。
ではこう考えてみてはいかがでしょう。もしお金がなかったらどうでしょうか?
例えばあなたが会社で経理の仕事をしている人だったとします。そしてレストランに行き、料理を注文し食べます。会計時、お金がない世界なのであなたは料理の対価としてそのレストランの経理をしなければなりません。
もし店の経営者が経理なら別の客にやってもらったのでいらないと行ったらあなたはタダ食いをしたことになります。別の労働をするか、無労働飲食の罪で刑務所行きになります。
こんなときにお金があればすんなりお金を払って帰宅できます。
もしあなたがダンサーだったら、料理の対価を店の経営者が満足するまで踊り続けなければなりません。もしあなたがミュージシャンだったら・・・もういいですね。
お金がなければ相手の提供するものと同じ価値の労働をあなたはしなければいけません。しかしわたしたちの社会は好きなこと、得意なこと、とくに得意じゃないことなどでも、労働の対価としてお金としてもらうことができます。このようにもともとお金というのはあなたの労働に対して払われる対価を数値化したものにしか過ぎません。
お金を出したほうが偉いということはまったくなく、お金をもらう方も出す方も立場は同等なのです。別の言い方をすればお金を出すお客様が神様ならば、サービスや商品を提供するお店の人も神様なのです。
みんな神様でいいじゃない
冒頭で述べた歌手、三波春夫さんの公式ホームページには「お客様は神様です」というフレーズについて間違った解釈が広まっていることへのことばがあります。
内容を簡単に言いますと目の前のお客様を神様にしてしまうわけではなく、神様の前にいるような気持ちで歌うことこそが本質であり大切だと言っているのです。「お客様は神様です」という言葉は三波春夫さんの心構えを表したものです。それが一般社会の中で曲解されたままになって、金を出すお客様は偉いという意味になってしまったのです。
一般的にお金を出したから偉いのでふんぞり返っていてもいいというのは成金のやることです。傲慢な成金はやがてその態度ゆえに人々が離れていくでしょう。本来のお金持ちなら謙虚で相手への感謝を忘れません。
わたしのすきな志村けんのコントに「とんでもない、あたしゃ神様だよ」というのがあります。それをもう少し広げて「とんでもない、あたしもあんたもみんな神様だよ」にしてみてはいかがでしょうか。
そうすればクレーマーなどいなくなるすべての人に感謝できるすばらしい社会になります。
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