【書評】悟らなくたって、いいじゃないか 普通の人のための仏教・瞑想入門

悟らなくたって、いいじゃないか
普通の人のための仏教・瞑想入門

プラユキ・ナラテボー
魚川祐司


瞑想、悟りも人の役に立ってこそという気づきを与えてくれました

おすすめ度 ☆☆☆☆

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きっかけはZ軸=俯瞰、鳥瞰

本書を買った理由は書店で手にとって適当にパラパラとめくったときに、文章中にZ軸と言う単語が目に入ってきたからです。

私たちはこの世界では主に地面の広がりである前後左右、X軸、Y軸で生活しています。それに対して空を飛ぶ鳥が生活している視点の高さはZ軸とすることができます。

わたしは前から俯瞰、鳥瞰で物事を見るということはどういうことかを常に考えていました。そこで偶然、仏教の瞑想について書いてある本書に「Z軸」という単語を見つけ、これはと思い読んでみました。そして自分なりの解釈で瞑想、悟りを考えてみました。。

瞑想とは観察、分解、観察、分解

そもそも瞑想とはなんでしょう。仏教の場合は悟りを開く貯めの手段だとわたしは考えています。

悟りを開くとは・・・?わたしは悟りを開いたことがないので想像で書きます。

もともとこの世界は小さく分解していくとすべて小さく分解することができます。

人間なら細胞、炭素などの分子、原始、素粒子、エネルギーになります。そこら辺にある石ならケイ素やカルシウムという分子、原始、素粒子、エネルギーとやはり最後はエネルギーになります。つまりこの世のすべてはぶっちゃけ全部エネルギーじゃね?となります。

しかしそれを見ているわたしたちはそのエネルギーに「あれは人間だ」とか「あれは石だ」と勝手に意味をもたせます。これはわたしたがもともとはただのエネルギーに、勝手に色を付けたということです。

もともとはエネルギーだから何もない、しかし人が色を付ければある。悩みや悲しみもわたしたちが色を付けたもので、本当はもともとはないものです。悟りを開けばそういう悩みや悲しみ、欲望や煩悩にとらわれることなく生活できる。

つまり悟りを開くとはこの世界すべてを色を付けることなく、ありのままの姿で観察することができるようになることです。

たぶん。

Z軸は神の視点

しかし普通に暮らしていたら誰かに対して腹が立ちます。人間だからそういった感情が起こるのは当然です。しかし瞑想をして悟りに近づくと、そういった感情も俯瞰で見ることができるようになります。

そうすることでなぜ自分はこういう感情を抱いたのか、この感情はどこから来るのかというように観察できるようになります。そして原因を観察、分解することでその感情にとらわれなくなるのではないでしょうか。

これはまるでお釈迦様が孫悟空を手のひらに載せたように自分をみることになります。Z軸で自分を観察するということは神様、仏様の視点ということになるのです。

たぶん。

投資家視点で瞑想を考える

さてわたしは個人株式投資家です。このZ軸の視点を投資に利用できないかと考えたりするのです。

仏教の悟りに対して、わたしたち投資家の到達する目的はなんでしょうか。それはお金を儲けることがまずあげられます。

下衆な考えと言われるかもしれませんが、とりあえずそう考えておいてください。

悟りを開くためには瞑想でこの世界を観察、分解して自分の色を入り込ませずありのままを受け入れることです。それに対して投資でお金を儲けるためには、経済や市場や株を観察、分解して自分の感情で色を付けずに受け入れることです。そうすればとりあえずは投資で思い込みでお金を失う可能性を低くできるでしょう。

わたしはたまに株式市場が開いているときに、なにも考えずに自分の持っている株のザラ板をボーッと見ることがあります。持っている株価が上がったから嬉しい、下がったから悔しい、怒りが湧いてくるというような感情を観察するのです。これはわたしなりの瞑想とでもいいましょうか。
なに?仏教の修行と一緒にするな?はい、ごもっともです。

しかしこれをやると次第にザラ板に並ぶ株価がただの数字に見えてきて、少々の株価の上下では心が動じなくなります。これは株価というある意味投資家の欲望として現れている数字を、分解できたということじゃないでしょうか。

わたしはこれを株式投資瞑想法と名付けます。

悟り=お金を儲けた・・・その後

仏教徒は瞑想や修行をおこない、悟りに近づくことを目標にします。さて、では悟りを開いたあとはどうするのでしょうか。悟りを開くほどの何者にもとらわれない精神をもった僧侶はどうすればいいんでしょうか?山奥にこもりそのまま即身仏にでもなるのでしょうか?

この本で僧侶であるプラユキ氏は悟りを開いたあとは俗世に降りて、民衆の悩みや不安を和らげなさいと書いてあります。つまり瞑想や悟りは、人々の役に立ってこそ意味があるのです。

これにはわたしの目から鱗が落ちました。厳しい修行や瞑想で得られた悟りとは、結局人のために役立つ道具、手段なのです。

投資家のはしくれのわたしの場合、悟り=お金儲かるということです。つまり儲けたお金は、僧侶が悟りを人々のために使うのと同じように人々のために使う道具であり手段になりえるのです。

この本を読んでわたしがお金を儲ける目的が見つかった気がしました。もっとお金を儲けられるようになって、人々の役に立つ使い方を模索することが本書を読んで得られたわたしなりの気づきです。

たぶん。

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